期間:
2025年2月1日(土) - 2025年5月11日(日)
前期:2月1日(土)~3月23日(日) 後期:3月25日(火)~5月11日(日) 10:00〜18:00(金・土曜日は20:00まで)
2025年2月1日(土) - 2025年5月11日(日)
前期:2月1日(土)~3月23日(日) 後期:3月25日(火)~5月11日(日) 10:00〜18:00(金・土曜日は20:00まで)
金沢21世紀美術館
前期:展示室1〜4、デザイン・ギャラリー、長期インスタレーションルーム
後期:展示室1〜6、デザイン・ギャラリー、長期インスタレーションルーム
一般 450円(360円)
大学生 310円(240円)
小中高生 無料
65歳以上の方 360円
※( )内は団体料金(20名以上)
※当日窓口販売は閉場の30分前まで
月曜日(ただし2月24日、5月5日は開場)、2月25日、5月7日
美術奨励の日:
会期中の毎月第2土曜日(2025年2月8日、3月8日、4月12日、5月10日)
金沢市民の方は本展を無料でご覧いただけます(要証明書の提示)
金沢21世紀美術館 TEL 076-220-2800
開館20周年にあたり、一年を通して美術館の最も重要な役割であるコレクションについてご紹介する大規模なコレクション展を開催いたします。当館のコレクション活動は開館前の2000年から始まり、学芸員の調査研究に基づき毎年欠かさず新しい作品を収集してきました。開館時までに約200点あったコレクションは、現時点では約4,200点に達し、当館にとってコレクションは美術館の歴史であり、同時に美術館のアイデンティティを示すものです。金沢21世紀美術館の3つの収集方針「1. 1980年以降に制作された新しい価値観を提案する作品」「2. 1の価値観に大きな影響を与えた1900年以降の歴史的参照点となる作品」「3.金沢ゆかりの作家による新たな創造性に富む作品」に基づき収集されたコレクションは、移り変わる時代の鏡であると同時に、積み重ねられ編まれていく表現の歴史の貯蔵庫でもあります。コレクション展は、世界を見つめ、過去・現在・未来について、共に考え語る場でもあります。展示を通して、この20年を振り返るとともに、これから先の未来について語り合える機会を創出します。
フランチェスコ・クレメンテ
ギムホンソック
ホンマタカシ
レべッカ・ホルン
鯉江真紀子
ラファエル・ロサノ=ヘメル
中川幸夫(後期)
中園孔二
ジュゼッペ・ペノーネ(後期)
鈴木ヒラク
リクリット・ティラヴァニ
保良雄 (後期)
1944年ミヒェルシュタット(ドイツ)生まれ。2024年に逝去。
美術学校で制作に用いた合成素材が原因で肺疾患を患い、1968年頃から約3年の療養生活を余儀なくされる。この時の外部からの隔離と孤独の経験が、羽毛のオブジェ、翼、マスクなど身体を拡張あるいは拘束する装具をまとう1970年代初頭以降のパフォーマンスを生む。触れるという親密さとコミュニケーションへの切望、身体の脆さとその防御を意識した表現は、映画や立体作品へと展開。さらに社会や歴史から抹消された記憶や悲嘆を見つめたインスタレーション、近年は音楽家と共同制作した音楽や言葉と光を用い、壮大な自然のサイクルと精神世界を考察する作品を発表している。
《炎に包まれた8つの髪束》1993
本作は、刃先の先端を上に向け金属棒に取り付けられた8本のナイフが横一列に並べられ、それぞれのナイフの上には、向かい合わせにブラシが配される。ナイフは順番に波打つようなゆっくりした上下運動を繰り返す。その結果、ナイフが筆の毛を順番に突き刺していく。タイトルからは、炎のゆらめきが髪束に迫る恐怖を連想させる。ここではナイフやブラシは本来の機能は奪われ、抽象的な記号となる。金属という硬質で凶器にもなりうる刃の鋭さ、柔らかく永遠のメタファーでもある髪の毛、そして突き刺し、刺される機械的な行為の繰り返しと繊細でゆっくりとした速度は、見る者の官能を刺激する。
1978年宮城県(日本)生まれ。
フィールド・レコーディングなど音をメディアとした表現を模索していたが、次第に土と葉を素材とする平面を手掛け始める。以降、ライブ・ドローイング、アスファルトのかけらを用いたインスタレーション、壁画、A4のコピー用紙に描くドローイング、映像など、制作は多岐にわたる。しかし一貫して、鈴木ヒラクはごく身近な素材や環境と自身が密接に関わりながら見出される、生成、変容の現場としての「ドローイング」または「描く」という独自の表現活動を探求している。
《bacteria sign (circle)》2000
正方形の《bacteria sign (circle) 》86点は視覚表現に移行した鈴木の最初期の作品。土を敷き、枯葉を埋め込み、葉脈の部分を掻き起こすという発掘的作業により現れる様々な円の線と形は、生成の瞬間であり場そのものである。文明、歴史、都市のメタファーとして、また身近な存在としての土と葉を用いた本作品群は、作家の身体的行為の介入により、潜在する遠い過去、記憶、未知なるもの、果ては未来を発掘するというドローイング表現を貫く鈴木の根幹的かつ代表的なものであり、新たな、そして異次元の世界との境界として、見る者の感覚を静かにそして力強く揺さぶる。
1952年ナポリ(イタリア)生まれ。
幼い頃は詩を多く創作し、絵画を独学で学ぶ。ローマに移り、1972年にアリギエロ・ボエッティと出会い、大きな影響を受ける。また、インド、アフガニスタンを旅し、その文化や思想がその後の制作活動に重要となる。1980年代には、イタリアの新表現主義の動向「トランスアヴァングァルディア」の作家のひとりとみなされる。異なる文化圏に滞在しながら細密画、モザイク画、フレスコ画など多岐にわたる技法で制作する一方、アレン・ギンズバーグ、アンディ・ウォーホル、ジャン=ミッシェル・バスキアと共同制作も行う。自己を見つめ、個人的な体験として、記憶、文化、時代、性差を自由に行き交うような断片化したイメージが特徴的である。
《靴とグラスのある自画像》1979
本作は、1979年に、写真家が用いるバックスクリーン用のロール紙を麻布へと裏打した支持体に、墨とグワッシュを用いて描いた約18点の自画像シリーズのうちの1点である。長さ約5メートルの広大な画面の左に自身の裸体とグラスひとつ、そして右端に1足の靴が描かれている。描かれた身体は、デフォルメされ、断片化されている。後に、クレメンテは制作姿勢について「内部と外部に同じ重みを持たせること、身体を内と外を分かつ境界とみなすこと」と述べている。このことは、自身が主題でありながらグラスや靴と同次元に置くことにより、自己の内面世界と外部環境を同一線上に表した本作にも明示されている。自己は確立したものではなく、絶えず生まれ変わり、常に新鮮で未知なるものであるとして、自己と身の回りの世界との関係を自画像に映し出そうと試みている。
1961年ブエノスアイレス(アルゼンチン)生まれ。
1990年に画廊でタイ風焼きそばを振る舞った《パッタイ》など、観客とのコミュニケーションを通して「関係性」を可視化する「リレーショナル・アート」を代表する作家のひとりである。日常性をアートの場に持ち込むことで人々の価値観に揺らぎを与え、歴史、システム、制度等、既存の枠組みへの疑義をユニークな方法で試みている。
《第八章: まだ見ぬ欲望に回帰し、より遠くのものは旅をし、より近いものは(疑惑へと)戻り行く、そして、もう一度、彼は木の下で目覚める》2013
本作は、時間旅行をテーマにした8章からなるシリーズの1点である。例えばイギリスの小説家H.G.ウェルズは、著書『タイム・マシン』(1895年)の中で、時空間を自由に往来する人類の未来をディストピア的な世界観をもって描いたように、ティラヴァニは、未来を流動的な空間「クローム」であると見立て、異なる時間旅行の物語を格言めいたタイトルとともに語り、時空について言及している。宇宙時代を想起させるクールで冷たいシルバーの大判プリントはクローム空間への入口を示し、3Dプリンタで作った陽気なオブジェが乗った銀色の台は時間旅行の入り口の鍵となる。プリントの四隅にある数字は自然界にも出現するフィボナッチ数で、プリントに描かれたダーウィンの生命の樹にも関連して、草木の枝分かれの仕組みに最適な黄金比を示唆しているとも考えられる。
1967年メキシコシティ(メキシコ)生まれ。
電子テクノロジーや体の動きが直接作用するインターフェイスを用いて、一時的な場、時間、人の関係性に焦点を当て、建築物や場と実際に関係を結ぶような大規模でインタラクティブなインスタレーションを展開している。テクノロジーと歴史の共存、移動の概念が色濃く反映されたプロジェクトは、都市空間に潜在する連鎖の重要性を浮き彫りにし、また、新たな関係性の構築を探求している。
《パルス・ルーム》2006
頭上に規則正しく配列され、空間を覆う約300灯の白熱電球の大群。300ワットの大きな電球はそれぞれ異なる明滅のリズムで空間を灯す。本作は心拍が電球の明滅のリズムに変換される作品である。空間内に設置されたスタンドのグリップを握ると心拍のリズムをセンサーが感知し、目の前の電球の明滅のリズムへと変換する。手を離すとそのリズムは頭上の電球へと移る。ひとりひとりの心拍リズムが記憶される度にその記録は次々に隣の電球へと移動していく。心臓の鼓動という生の証が、触れるという直接的行為により明滅として表現されるのだ。ラファエル・ロサノ=ヘメルが本作について「memento mori(メメント・モリ)」と喩えるように、宙に浮く灯火は生命力の集合体として示される一方で、存在のはかなさを想起させる。耳を澄ますと聞こえてくる高音の明滅音は空間にざわめき、異なるリズムの集積は複雑かつ無作為で常に変化する音楽を奏でる。
後期:3月25日(火)~5月11日(日)
保良雄は、人間を含む生物や無生物など、さまざまな存在を「存在」として認めることを制作の目的としている。また、作品制作の一環として農業や養蜂を営みながら、アートの媒介者としての実践を続けている。その制作手法は、手仕事から最新テクノロジーの駆使まで多岐にわたり、エコロジーに潜む優劣や格差などへの批判も織り込んでいる。保良は、もの派の影響を受けると同時に、自身の先天性障がい者という視点から存在論と向き合い、理論だけでは捉えきれない人間社会におけるモノとの関係を探求している。
《cosmos》2024(展示室5)、《gracier》2024(展示室6)
保良は2023年春にネパールのアンナプルナを訪れ、山岳民族のリサーチと氷河の採取を行った。その際、保良が出会った僧侶から「水はすべての人に必要であり、人種や立場を超えて生命を支える」の言葉を受けて、保良は水がすべての生命をつなぐ存在であることを示唆する本作を制作した。《glacier》は、手の中で溶けゆく氷河を24枚にわたり撮影し、縦一列に配置したもので、氷河と作家自身の手の関係が描き出されている。目線の高さにくるシーンでは、既に氷河は水となり、手のみが映し出される。そこには、一人の人間としてこの世界にどう向き合うべきかという人間の逡巡が表れている。《cosmos》は、生物の臓器をイメージして形作られたガラスの彫刻であり、天気を予報するストームグラスや光エネルギーを動力へと変換するラジオメーターなど、外界との情報を交換するオブジェクトで構成されている。ストームグラス内の溶液は、樟脳、硝酸アンモニウム、塩化ナトリウム、エタノール、アンナプルナにて採取した氷河が溶けた水で構成されている。また、彫刻の最上部には同地で採取した同じ重さの石がヤジロベエ状にバランスを取っている。台座は、大理石と山武杉という地球上の異なる時間軸を持つ素材で構成されている。本作は、この地球上において、さまざまな存在が他者と関係を持ちながら互いに作用し、動的に均衡を取る様相を表現している。
後期:3月25日(火)~5月11日(日)
1947年ガレッシオ(イタリア)生まれ。
1960年代末からイタリアを席巻した美術運動「アルテ・ポーヴェラ」を牽引するひとりとして、今日に至るまで活躍。自然界の粗野な素材をそのまま作品へと用い、その内に隠匿された自然そして人間、特にその身体との関係性をしなやかに提示し、顕在化させる手法で知られている。日本では、「人間と物質」展(東京都美術館、1970年)で初めて紹介された。2004年にはポンピドゥ・センターで、2007年にはヴェネツィア・ビエンナーレで大規模な展覧会が開催され、高い評価を受けている。
《伝播》1995-1997
10枚のパラフィン板が床に1列に並んでいる。最初の1枚には薄い凹みがあり、その中央に作家の指紋が押された素描が閉じ込められ、上を水が覆っている。パラフィン板の上を満たす水はガラスの樹幹へと姿を変えて、奥へと長く延びる作品の全体をつないでいく。作家の指紋が芸術における創作行為の隠喩であり、そこを源泉として作品が生まれ、広がっていくかのようだ。パラフィン、ガラス、水、そのいずれもが可変的な性質を有するが、ここではガラスとパラフィンは固着し、水のみが微細に環境に反応することによって、環境や自然の移りゆく刹那的な様子がその対比をもって一層明らかとなり、人間の作為を通してそれらの本質を浮かび上がらせることに成功している。
後期:3月25日(火)~5月11日(日)
1918年香川県(日本)生まれ、2012年同地にて逝去。
23歳の頃、池坊に属していた伯母からいけばなを習う。1949年「いけばな芸術」へ送った作品集が造園家・重森三玲に認められ、重森が主宰するいけばなの研究集団白東社に参加。1951年池坊を脱退。1956年に東京へ転居後は、組織、流派に属さず、弟子も取らずに自己の花を追求する。1984年、銀座で「花楽」と題した個展を開き好評を博す。前衛的で革新的な花との取り組み以外にも、ガラスや書を手掛ける。土門拳に薫陶を受け、自ら写真も撮影する。第2回織部賞(1999年)、第11回日本文化芸術振興賞(2004年)を受賞。
《無題(花楽)》1984
「花楽」シリーズは、1984年の個展(銀座自由が丘画廊)で発表された。花の液を画仙紙にたらし、その上に水を含ませた海綿をいくつも置いていくと、花液の段階では黒ずんでいた色が、時間の経過とともに鮮やかな紫や青、褐色へと変化して紙上に浮かび上がる。花を花液という形で抽出し、そこに秘められていた色を紙に定着させ作品とした中川の行為は、花の生命の根源に自らの身体をもって対峙し、その本質を掴み取ろうとしたものである。本作は、同シリーズの中でも最大級の作品。大輪の花のように画面いっぱいに広がる液の滲みは、随所に残された黒い種とともに生命力を象徴的に表している。
1964年ソウル(韓国)生まれ、同地在住。
ギムホンソックは、現代社会に対する批判的なまなざしによってドローイングや彫刻、映像などの多様なメディアで作品を制作する。異なる文化背景や社会階級の人々の間に生じる労働、教育、格差、倫理などの問題を、架空の社会を創造し、ユーモラスかつアイロニカルに表現する。既成概念を逸脱し、あらゆる分野に通底する無意識の悪、思考の欠如について、時には模倣や参照、翻訳という手法を通して鑑賞者に鋭く問いかける。
《これはうさぎです》2005
本作は、横たわるうさぎの着ぐるみとテキストがセットになったインスタレーション作品である。テキストには、この着ぐるみに不法滞在の労働者が入り、美術館でパフォーマンスをしているということと、パフォーマンスに対して給料が支払われているということが書かれている。雇用と労働の関係が、きわめてシンプルに提示されている一方で、対価を支払えばどのような関係も可能にするのかといった、「倫理」についての問いかけも含まれている。本作で作家が提示する移民と不法滞在に関わる問題は、韓国と北朝鮮とに二分されている朝鮮半島を出自にもつ作家自身の切実なスタディの延長にあるとともに、グローバル社会に共通する課題でもある。
1989年神奈川県(日本)生まれ、2015年香川県にて逝去。
約9年間にわたる短い作家活動の中で約600点もの絵画作品を制作し、インターネット時代のグローバル化を象徴する独自の絵画表現を築いた。近代絵画や1990年代以降の絵画表現だけでなく、アニメ、漫画、映画、そしてインターネット上の無数かつ不特定多数のイメージに着想を得ており、ポストインターネット世代の感性や価値観に根ざしている。画面には人間と非人間の間に存在するものが様々な姿で現れ、過度に情報化した時代における不安定な人間存在とその諸関係を表象している。
《無題》2008、《無題》2009頃、《無題》2012、《無題》2012、《無題》2012、《無題》2014、《無題》2014、《無題》2015頃、《無題》制作年不詳、《無題》制作年不詳
当館が所蔵する作品群10点は、彼が東京藝術大学在学中の初期作品、卒業後本格的に作家活動を開始した2012年以降の作品、そして、高松へ移住し、他界した2015年頃の作品が含まれており、初期から晩年までの各時代の多様な表現の変遷を見せる。中園は、抽象的な色面に複数のモチーフを層状に配置することで、独自の絵画空間を生み出している。指のこすり塗りによるカンヴァス上での生き生きとした筆致は、スマートフォン上を指でなぞるさまを想起させる。同時に、クレヨンで過剰なまでに描かれた色面と線は、現代社会の情報やイメージの氾濫を思わせる。中園が生前よく行った、1点のみでなく複数の絵画によって壁面を構成するインスタレーション方法は、アンビエントな空間の創出の試みといえる。
1962年東京都(日本)生まれ。
日本大学藝術学部写真学科で写真を学び、1980年代後半より、国内外のファッション誌を中心に広告写真やCDジャケットなどを多数手掛ける。一方で様々な都市もしくは都市近郊のニュータウンの風景、さらにはそこに暮らす子供を独自の距離感で撮影し、自身の作品シリーズとしてまとめる。1999年には『東京郊外 TOKYO SUBURBIA』で木村伊兵衛写真賞を受賞。2004年には写真家・中平卓馬を追った映画『きわめてよいふうけい』を発表した。
《Trails》2009
ホンマが語る「写真を使った世界の見方を様々に問いかける試み」は、それぞれのシリーズの中に内包されている。雪の上に残る赤い染み、倒れた木々、動物らしきものの足跡。それらは、獣が血を流しながら逃げ回った“事実”を伝える痕跡なのだろうか。あるいは、狩人が仕留めた獲物を引きずった“事実”を示しているのだろうか。2009年に発表された《Trails》(痕跡)と題された一連の写真は、雪の上に延々と続く血痕と思しきものを記録している。しかし、それが一体何を物語っているのかは、決して明らかにされない。このシリーズにおいても、ホンマの姿勢として、写真そのものを問い直す試みが見て取れる。観る者は、これらの写真が切り取った「事実」と、それが示唆する「物語」の間で揺れ動きながら、写真というメディアの本質に迫ることを求められるのだ。
1969年京都府(日本)生まれ。
鯉江真紀子は、1990年代より一貫して、自然のシリーズや、競馬場、野球場などの群衆を大画面に表現する写真作品を制作している。これらの作品では、客観的に対象が捉えられているというよりはむしろ、イメージのブレや重なり、繊細な諧調の色彩が用いられていることにより、心象風景のような世界が生み出されている。イメージが何層にも重なる画面には、遠い記憶の中の静寂さが漂う。
《From the series “P,” P-17》2001
《From the series “P,” P-28》2001
画面には群衆が映し出されている。実際に撮影されているのは、競馬場や野球場といった場所に集まった群衆であり、撮影後写真は引き伸ばされ大画面にされた。人の姿はブレて重なり、何重もの人の層から構成されるイメージが生み出されている。人の姿は左右に波打ち、顔立ちは見分けにくく、淡い色調の世界が広がる。鯉江はフィルムでの撮影、現像で微妙な色調整を繰り返すことで作品に繊細な質感と奥行きを与える。「整然」や「統一」といったイメージを想起させる熱狂する群衆を扱いながらも、冷静に、客観的に完結させるのではなく、むしろ心象風景のような感覚的な世界へと変容させ、我々を意識の奥へと誘い込む。
金沢21世紀美術館[公益財団法人金沢芸術創造財団]
株式会社サンエムカラー
北國新聞社